海の上に見えない分布境界線が?!生物相を分かつウォレス線とは?
2023.12.14
目次
先日、いつもお世話になっているお店でインドネシア料理をいただきました。
インドネシア風の唐揚げは、辛味と甘味のバランスが絶妙でとても美味しかったです。
ところで、インドネシアのバリ島とロンボク島の間に、重要な分布境界線である「ウォレス線」が存在するのをご存じですか?
分布境界線とは、生物相(特定の地域・環境に生息するすべての生物)が変化する境目のこと。
本記事では、ウォレス線の概要や名前の由来となった人物を紹介します。
生物相を分かつウォレス線とは
ウォレス線は、博物学者アルフレッド・ラッセル・ウォレス氏が発見した分布境界線です。
ウォレス線という名称も、発見者である彼にちなんでつけられました。
バリ島とロンボク島の間にあるロンボク海峡から、スラウェシ島とボルネオ島の間のマカッサル海峡を通り、ミンダナオ島東部に至るまで引かれています。
ウォレス氏は昆虫類や鳥類、爬虫類、哺乳類など多様な動物の分布を調査し、線の西側と東側で生物分布が異なることを突き止めました。
ウォレス線東側の分布はオーストラリア大陸やニューギニア島のそれとよく似ているのに対し、西側はインド亜大陸やインドシナ半島のものに類似することが分かったのです。
動物地理区でいえば、ウォレス線東側は「オーストラリア区」、西側は「東洋区」という区分になります。
バリ島~ロンボク島間の距離は、たったの35kmほど。
しかし、両島の間には深い海溝があり、数百万年にわたり地球規模での海水面昇降が繰り返されてきました。
多くの生物たちにとって、ウォレス線を越えるのは困難なことだったようです。
アルフレッド・ラッセル・ウォレスはどんな人だった?
アルフレッド・ラッセル・ウォレス(1823~1913)は、ウェールズの小さな町ウスク出身の博物学者です。
貧しい家庭に育ちながらも、彼は好奇心旺盛な人物へと成長しました。
測量技師や学校教師などいくつかの職を転々としつつ、図書館に通っては独学で豊富な知識を身につけます。
ダーウィンの『ビーグル号航海記』やフンボルトの『新大陸赤道地方紀行』、ライエルの『地質学原理』といった著書から影響を受けたとされます。
1848年、彼は昆虫学者ヘンリー・ベイツとともに南米に出発。
同年から1852年までアマゾンで採集をしつつ、動植物の分布調査を実施しました。
その後マレー半島に赴き、1854年から1862年まで各島々の動植物を比較研究します。
研究の結果、島々の間で生物相が二分されることが分かったのは、上で述べたとおりです。
ウォレス線は絶対的基準ではない
実はウォレス線は、やや修正されています。
はじめは、アメリカの植物分類学者エルマー・ドリュー・メリルによって。
次いで、ドイツ出身の動物学者マックス・カール・ヴィルヘルム・ヴェーバーによってです。
この2人が改めた分布境界線は、それぞれ「新ウォレス線」「ウェーバー線」(ウェーバーはヴェーバーの英語読み)と呼ばれるようになりました。
たしかに、分布境界をはっきり「ここ!」と決めるのは難しそうです。
大まかには分けられても、色のグラデーションのように分布が混ざり合うポイントもあるでしょうから…。
ウォレス線はもちろん、新ウォレス線やウェーバー線も、区切りの目安と捉えた方が良いでしょう。
身近にある生物多様性を意識するきっかけとして
昨年、植物民俗を学ぶ講座を受講した折、先生から、
「標高が1m違うだけでも、植物の種類が変わることがありますよ」
という話を聞きました。
「たった1mだけで?」
普通の人間である私にはなかなかピンときません。
しかし同時に、身近なところに生物多様性が存在している可能性があると知り、ワクワクしました。
あなたの家の近くにも、ウォレス線のような見えない境界線があって、「こちら側とあちら側では見かける生物が違う気がする」という場所が見つかるかもしれません。
小さなことであっても、新しい発見をするとすごく嬉しいですし、なんだか得した気分になりますよね。(他の人たちが気づいていない・気にも留めていないことであれば特に…笑)
何でもない日常の風景が、途端に色彩豊かでキラキラして見えるようになります。
ウォレス線の話が、身近にある自然界の多様な姿に目を向けるきっかけとなれば幸いです。
まとめ
今回はウォレス線についてご紹介しました。
そもそも「ウォレス線」っていう言葉自体知らない方も多いともいますので、本記事が参考になれば幸いです。